不乗森神社
御由緒

当神社の創立年代は、第六十三代冷泉天皇の御代(九六八年)近江国坂本村(大津市坂本町)に鎮座まします日吉大社東本宮の御祭神大山咋命の御分霊を観請して奉斎申し上げたと伝えられる古社である。

当時社頭は、旧鎌倉街道に沿い「野路の宿」(現知立市八ッ橋町)と共に「宮橋の里」と称する駅次の所在地にして、古来より街道を往来する人々は、社頭通行にあたり馬に乗りし者は下馬して自ら敬虔の念をもって拝礼の上通行した。

故に駄野森山王宮と称したが、明治維新改革に際し不乗森神社となる。

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由来記


この地に花の滝と鎌倉街道がありました。
鎌倉街道は八橋から西矢作の間安城地内を八・五キロにわたって通じていました。
八橋を過ぎ不乗森神社の北西を通り浜屋を経て尾崎の熊野神社へ向かっていました。不乗森という神社名も街道との関係で名付けられたと伝えられています。

花の滝は鎌倉街道沿い菖蒲池(しょうぶいけ)地内にありました。
室町中期宗祇の「名所方角抄」にもその名がみられ後「折田口花瀑」(おたぐちはなのたき)といい名勝地として知られていました。


▲花の滝(安城市史跡文化財)

風わたる
花をみかわの八橋の
くもでにかかる
滝のしらいと

慈円

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